
蒙御免
中央上に大きく右図のような文字が見えます。「蒙御免」とかかれてあり、 「御免蒙る(ごめんこうむる)」と読みます。1757年宝暦7年5月に江戸勧進相撲は、上方では従来東西2枚に分かれていた番付を、縦一枚に収めた、現在に繋がるいわゆる縦一枚番付を発明しました。その番付にすでに「蒙御免」がかかれています。勧進相撲とはいっても純粋な勧進(集めたお金で自社仏閣の建立や修理を行う)の意味はなくなっていましたが、相撲は寺社奉行の支配下にありました。江戸時代初期、江戸ではたびたび相撲の禁止礼が出されており、寺社奉行から相撲興行の許しを得なければ相撲は開けません。その興行許可を示しているといわれています。それが250年たった現在も残っています。
ただし、大阪、京都の番付や特殊な番付はこの限りではなく、番付中央上には蒙御免以外の文字が書かれています。特に大阪京都は寺社奉行とは関係ありませんから、普通「大相撲」と書いています。なかには力士名を大書きしたというのもあったようです。
東西合併後昭和6年皇居で開かれた天覧相撲用の番付は「賜天覧」になっています。天龍一派の関西角力協会の番付は方番付ですが、右上に「蒙御免」の文字が見えます。(行司番付は昭和7年2月のものです)
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