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2007年5月5日土曜日

大相撲擧行仕候

大相撲擧行仕候
現在も全く同じように書かれています(擧は挙だけど)。挙行は儀式や行事などをとり行うこと。興行と書いてもいいと思いますが、挙行です。昭和2年のみ「大角力興行」を使っています。また昭和20年夏のみ「奉納大相撲挙行」となっています。
「挙」と「擧」ですが、ランダムにどちらも用いられています。「國」が一貫して旧字なのに対し「挙」はいいかげんです。どちらでもいいんでしょう。

最後は「仕候」です。読みは「つかまつりそうろう」。人偏に去のように見えますが「仕」と「候」の2字からなっています。「候」の字は崩れていますが、崩し方としてはごく一般的で見慣れた人には極当たり前のありふれた文字のようです。

平成に入ってもいまだに番付で「仕候」を使っていますね。

晴雨ニ不関十一日間

両国国技館
2行目の開催場所である両国国技館はいいでしょう。場所が変われば変わります。東京以外の場合大阪市、名古屋市といったように都市名が入る事もあります。国の字は現在の番付も旧字「國」を使用しています。



晴雨ニ不関十一日間
晴れでも雨でも、晴雨に関わらず11日間興行すると言っています。当たり前のようですが明治43年に国技館ができるまでは「晴天十日間」などが普通だったのです。また終戦前後「晴天九日(十日)」が少しだけ復活しています。「晴雨ニ」の送り仮名の「ニ」は入っている番付もあれば、入っていないのもあります。どっちでもいいんでしょう。

蒙御免について


番付の中央に行司欄がありますが、行司だけでなくその上に書かれている事も紹介しておきます。

蒙御免

中央上に大きく右図のような文字が見えます。「蒙御免」とかかれてあり、 「御免蒙る(ごめんこうむる)」と読みます。1757年宝暦7年5月に江戸勧進相撲は、上方では従来東西2枚に分かれていた番付を、縦一枚に収めた、現在に繋がるいわゆる縦一枚番付を発明しました。その番付にすでに「蒙御免」がかかれています。勧進相撲とはいっても純粋な勧進(集めたお金で自社仏閣の建立や修理を行う)の意味はなくなっていましたが、相撲は寺社奉行の支配下にありました。江戸時代初期、江戸ではたびたび相撲の禁止礼が出されており、寺社奉行から相撲興行の許しを得なければ相撲は開けません。その興行許可を示しているといわれています。それが250年たった現在も残っています。

ただし、大阪、京都の番付や特殊な番付はこの限りではなく、番付中央上には蒙御免以外の文字が書かれています。特に大阪京都は寺社奉行とは関係ありませんから、普通「大相撲」と書いています。なかには力士名を大書きしたというのもあったようです。
東西合併後昭和6年皇居で開かれた天覧相撲用の番付は「賜天覧」になっています。天龍一派の関西角力協会の番付は方番付ですが、右上に「蒙御免」の文字が見えます。

(行司番付は昭和7年2月のものです)

當一月十一日より於

開催日、場所について。
番付の蒙御免の下にあるこの部分について少し説明しておきます。
「當一月十一日より於」

當

右端に「當一月十一日より於」とあります。當=当 当日や当月の当だと思います。即ち「今回の」といった意味でしょう。「當」の後に「ル」と送り仮名が振られている場合もあります。「あたる」と読むのだと思います。

開催年
開催年が書かれているときもありますが、昭和10年は開催年は省略されています。開催初日の月日が書かれています。現在「當」はなく年から記載され、2行にわたり
「平成十九年 五月十三日より十五日間」 と記載されています。

より

十一日の右下にある記号のようなもの「σ」か「5」か「6」のように見えるもの。これは「より」を続けて書いたもので、古文書などでは一般的に用いられるものです。

於

於ては1行目の終わりにきて次の行の開催場所に繋がる場合と、開催場所の行の頭にくる場合とあるようです。昭和25年春からから変わったようです。