2007年5月6日日曜日

寄附行為細則に見る行司の階級

現在と東西合併時の行司の階級に関する部分を寄附行為細則から抜き出してみます 。

財団法人日本相撲協会寄附行為施行細則附属規定
【行司】
第二十条
行司は、その階級に応じて左の如き色を使用する。
立行司
庄之助 総紫
伊之助 紫白
三役行司 朱
幕内行司 紅白
十枚目行司 青白
幕下二段目以下黒又は青
財團法人大日本相撲協會寄附行為細則
第二十四條
行司は紫総は横綱に、紫白総は大関に、緋総は三役に、紅白総は幕内力士に対等し、足袋格の行司は十両格の力士に対等するものとす。
第二十五條
地方巡回競技の場合と雖も、足袋格の行司は土俵に於いて草履を使用することを得ず。但し大関同行の節其組合行司長疾病又は事故欠勤の場合は其限りに非ず。小相撲組合の行司長に当たると雖も、足袋以下の行司は土俵に於いて足袋を使用することを得ず。但し十両格以上の力士同行の際は其限りに非ず。

2007年5月5日土曜日

行司の階級 その1

現在の行司の階級は下記の表のように8段階(庄之助と伊之助を分けると9段階)に分かれる。幕下以下は足回りがはだしではかまのすそを絞るので、十両以上のいわゆる資格者とは簡単に区別ができる。しかし幕下以下の階級間に外見の差は見られないので外から見ても区別できない。十両以上は房の色が違うので階級が分る。また三役以上は土俵上で草履を履くことができ印籠を持つ。さらに立行司は短刀をさしている。

階級        級色     足回り     装束
立行司(庄之助) 総紫      白足袋    草履 短刀、印籠
立行司(伊之助) 紫白      白足袋    草履 短刀、印籠
三役格行司    朱        白足袋    草履 印籠
幕内格行司    紅白      白足袋
十両格行司    青白      白足袋
幕下格行司    黒または青  素足     袴のすそをしぼる
三段目格行司   黒または青  素足     袴のすそをしぼる
序二段格行司   黒または青  素足     袴のすそをしぼる
序ノ口格行司   黒または青  素足     袴のすそをしぼる
階級色は団扇の房の色や菊綴(菊の模様を形取った飾り)が注目されるがそれ以外にも、烏帽子の紐、胸の飾り紐、袖口の紐、また糸の色にも用いられている。

現在の行司は足回りも違うが、それよりも階級色特に団扇の房の色が注目され区別される。しかし昔の行司は房の色も重要だが、寧ろ足回りが重要視された。また時代により少しずつ階級の認識が違いそうなのであるが、乏しい資料を調べてみた範囲では、昔の行司の階級を正確に把握することはできていないが、分かっていることや推測を交えて書いてみることとする。

大相撲擧行仕候

大相撲擧行仕候
現在も全く同じように書かれています(擧は挙だけど)。挙行は儀式や行事などをとり行うこと。興行と書いてもいいと思いますが、挙行です。昭和2年のみ「大角力興行」を使っています。また昭和20年夏のみ「奉納大相撲挙行」となっています。
「挙」と「擧」ですが、ランダムにどちらも用いられています。「國」が一貫して旧字なのに対し「挙」はいいかげんです。どちらでもいいんでしょう。

最後は「仕候」です。読みは「つかまつりそうろう」。人偏に去のように見えますが「仕」と「候」の2字からなっています。「候」の字は崩れていますが、崩し方としてはごく一般的で見慣れた人には極当たり前のありふれた文字のようです。

平成に入ってもいまだに番付で「仕候」を使っていますね。

晴雨ニ不関十一日間

両国国技館
2行目の開催場所である両国国技館はいいでしょう。場所が変われば変わります。東京以外の場合大阪市、名古屋市といったように都市名が入る事もあります。国の字は現在の番付も旧字「國」を使用しています。



晴雨ニ不関十一日間
晴れでも雨でも、晴雨に関わらず11日間興行すると言っています。当たり前のようですが明治43年に国技館ができるまでは「晴天十日間」などが普通だったのです。また終戦前後「晴天九日(十日)」が少しだけ復活しています。「晴雨ニ」の送り仮名の「ニ」は入っている番付もあれば、入っていないのもあります。どっちでもいいんでしょう。

蒙御免について


番付の中央に行司欄がありますが、行司だけでなくその上に書かれている事も紹介しておきます。

蒙御免

中央上に大きく右図のような文字が見えます。「蒙御免」とかかれてあり、 「御免蒙る(ごめんこうむる)」と読みます。1757年宝暦7年5月に江戸勧進相撲は、上方では従来東西2枚に分かれていた番付を、縦一枚に収めた、現在に繋がるいわゆる縦一枚番付を発明しました。その番付にすでに「蒙御免」がかかれています。勧進相撲とはいっても純粋な勧進(集めたお金で自社仏閣の建立や修理を行う)の意味はなくなっていましたが、相撲は寺社奉行の支配下にありました。江戸時代初期、江戸ではたびたび相撲の禁止礼が出されており、寺社奉行から相撲興行の許しを得なければ相撲は開けません。その興行許可を示しているといわれています。それが250年たった現在も残っています。

ただし、大阪、京都の番付や特殊な番付はこの限りではなく、番付中央上には蒙御免以外の文字が書かれています。特に大阪京都は寺社奉行とは関係ありませんから、普通「大相撲」と書いています。なかには力士名を大書きしたというのもあったようです。
東西合併後昭和6年皇居で開かれた天覧相撲用の番付は「賜天覧」になっています。天龍一派の関西角力協会の番付は方番付ですが、右上に「蒙御免」の文字が見えます。

(行司番付は昭和7年2月のものです)

當一月十一日より於

開催日、場所について。
番付の蒙御免の下にあるこの部分について少し説明しておきます。
「當一月十一日より於」

右端に「當一月十一日より於」とあります。當=当 当日や当月の当だと思います。即ち「今回の」といった意味でしょう。「當」の後に「ル」と送り仮名が振られている場合もあります。「あたる」と読むのだと思います。

開催年
開催年が書かれているときもありますが、昭和10年は開催年は省略されています。開催初日の月日が書かれています。現在「當」はなく年から記載され、2行にわたり
「平成十九年 五月十三日より十五日間」 と記載されています。

より

十一日の右下にある記号のようなもの「σ」か「5」か「6」のように見えるもの。これは「より」を続けて書いたもので、古文書などでは一般的に用いられるものです。

於ては1行目の終わりにきて次の行の開催場所に繋がる場合と、開催場所の行の頭にくる場合とあるようです。昭和25年春からから変わったようです。

行司番付昭和10年1月 その2

四段目

十両格と幕下格が書かれています。格段は空白で区切られています。めったにないですが空白を区切りだと考えると辻褄が合わない事があります。あくまで前後の番付で考えるべきでしょう。
画像を示しておきますが、念のために名前を書いておきます。
十両格:木村友治郎、式守眞之助、木村善太郎、木村哲雄、式守与之吉
幕下格:木村百合夫、木村金吾、式守善吉

友治郎は友次郎ともかかれていることがあります。改名表示は無いので意識して改名したというより番付を書く人が勝手に書いているようにも思います。真実は不明で本人の希望で変えていたのかもしれません。哲雄の雄は夫と、百合夫の夫は男と書くことも多いです。特に雄、夫、男に関しては頻繁に変わる人がけっこういます。
与之吉は現在與之吉と書きますが、7代目が昭和42年9月から始めたものです。

五段目
五段目は三段目格、序二段格と序ノ口格です。文字が小さいので拡大したものを示します。比較的読みやすいですが、分かりにくいのも多いです。でもこれは相当分かりやすい方です。
三段目一人目は木村邦雄。雄が少し分かりにくいですが、序二段三人目の良雄の雄と同じ字です。次が木村磯松。以前は五十松と書いていましたがこのときは磯を使っています。

序二段一人目は分かります?木村福松です。番付ではよくすることですが偏を上に旁を下に配置することがあります。木ハム」が縦につながり「松」の字になります。勝手だなと思うのは磯松の松が普通なことです。字の横幅を考えても福松だけ字体を変える必要があるのか?疑問です。次の木村庄次郎も庄治郎とも書きますし、木村良雄は良夫と書くこともあります。木村滝夫は、この人は滝夫のままですね。ともかく細かなところはよく変わります。

序ノ口は木村正春、木村政夫(正夫の時もあります)、木村宗太郎、式守秀夫(秀雄)、木村正市(正一)

昔の行司さん土俵開き

昔の行司さん土俵開き

以前から過去の行司さんについて情報を集めています。かつて調べられたことがあるはずですが、ネットでの情報が少なくなかなか過去の行司さんの実態が分りません。自分で調べて、調べた結果を公開します。


取り扱う内容
過去の行司さんのまとめ
行司に関する情報雑学
書籍等に載っている行司に関する記載
その他

逆に現役行司さんについては経歴やリスト化以外は触れません。また掛け声や所作、口上などについてはあまり知らないので触れないでしょう。

まずここから始めます
まず基本的なところから昭和の行司さんをまとめようと思います。番付の写しが手に入りましたので行司欄を読んで、何時どのような行司さんがいたかリストアップします。しかし下位行司は印刷が不鮮明で十分読み取れないものも多いです。幸い昭和10年1月場所はほぼ全ての行司さんが分りましたので、この番付から紹介をスタートしようと思います。

2007年5月4日金曜日

行司番付昭和10年1月

昭和10年1月番付
解説

一段目

上段(一段目)は立行司、木村庄之助、式守伊之助、木村玉之助がならぶ。番付によって書式は違うが、かつては(この当時は)中央に首席の庄之助を、右に伊之助を、左に玉之助を配置する事が多い。字の大きさも庄之助が他の二人に比べて大きい。


二段目
三役格。上段と同様に中央に地位が高い行司がくる。必ずしも中央がこの段で最高位とはいえず、席順を考える時、前後の番付を考慮しなければいけない場合も多いが、10年1月番付では素直に式守勘太夫がこの段では最上位。この後内側から右→左→右→左と並ぶ。字の大きさも僅かであるが中央にいくほど大きくなっている。式守勘太夫→木村清之助→木村林之助→木村玉二郎→木村今朝三の順である。

三段目
この番付では幕内格が中央が高位で書かれている。この時代でも僅かな時期の違いで右から左へ順にかかれる事もあるし、三段目に幕内と十両をあわせて書くもある。正直と喜三郎のどちらが高位かこの番付からだけでは分らない。前後の番付を考慮し、木村正直→木村喜三郎→木村善之輔→木村光之助→式守錦太夫→木村今朝三であると考えられる。